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  1. 【2015年度10月期NHK朝ドラ】連続テレビ小説「あさが来た」モデルの広岡浅子ってどんな人?

更新日 2015/12/04

【2015年度10月期NHK朝ドラ】連続テレビ小説「あさが来た」モデルの広岡浅子ってどんな人?

2015年下半期のNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」が9月28日(月)より放送開始されました。史実のモデルがベースのこのドラマ。どのような内容なのか、モデルになった女性実業家・広岡浅子について。そしてキャスト、ロケ地などについてまとめてみました。

「あさが来た」って、どういう内容のドラマ?

連続テレビ小説 第93作「あさが来た」は
“朝ドラ”初の江戸時代、幕末からスタートします。
激動の時代の大阪を明るく元気に駆け抜けたおてんば娘と
陽気にヒロインを支え続けたボンボン夫の
「おもろい夫婦」が
日本の朝を明るく照らす。
“びっくりぽん!”な物語です。

明治維新の荒波の少し前、生まれた時から許嫁を決められた姉妹がいた。
ふたりはそれぞれ大阪で一,二を争う両替商に嫁ぐものの、姉の嫁ぎ先は倒産!
ヒロインである妹の嫁ぎ先も蔵の中は空っぽ!
ヒロインは、「気前のいいボンボン」の夫から仕事を丸投げされ、戸惑いながらも
幾多の人の助けを得て事業を成功させ、
いつしか「大大阪(だいおおさか)」の一翼を担っていきます。

◆「あさが来た」は第93作目の朝の連続テレビ小説(朝ドラ)にあたる。
制作は大阪放送局。(BK)
特定の実在の人物をモデルに描いたフィクション作品となり、ジャンルは時代物。

なお、幕末から物語が開始される朝ドラはこれが初となり、朝ドラ史上最も古い時代設定となります。

この物語のヒロインの名は、“あさ”。幕末、京都の豪商の次女に生まれたあさは、相撲が大好きなおてんば娘。琴や裁縫などの習い事に熱心な姉、はつは、あさとは好対照。
あさは大阪有数の両替屋の次男・新次郎と結婚することが親同士の約束で決まっていました。しかし、物心つく頃には「お嫁なんかいかへん」と猛反発。
そんなあさは、ひょんなきっかけでその許婚、新次郎のひょうひょうとした魅力に引き込まれ、恋に目覚めます。
心ときめかせ嫁いだものの、明治に入り、時代に合わなくなった両替屋の経営は火の車。ボンボンの夫、新次郎は「金儲けは性に合わへん」と三味線など風雅に興じるばかり。
いよいよ倒産かという時、新次郎が持ち込んだのは、炭坑経営の話。「これからは石炭の時代らしいで。」その言葉が、あさの心に火を付けます。単身、九州に向かったあさを待ち受けていたのは、炭坑の男たち。酒ばかり飲んで働かない男たちに、あさは立ち向かいます。

◆幕末動乱期の京都・大阪の時代背景の中で、明治という新しい日本を作ってきた偉人の中にこんな女性がいるという史実も新鮮。前向きで元気が貰えるドラマになりそうです。

ヒロイン・白岡あさ(今井あさ)役は波瑠さん

モデルで女優の波瑠さんが主演のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「あさが来た」が28日、スタートする。おてんばで行動力があり、朝ドラのヒロインらしいあさ(波瑠さん)が新しい“朝の顔”になる。朝ドラでは初めて幕末から物語がスタートすることも話題だ。

◆数々のドラマや映画で活躍中。男女問わず多くのファンを魅了している波瑠が2590人のオーディションを突破してヒロインの座を射止めた。

子供時代を演じるのは鈴木梨央ちゃん

◆第一週、あさの子役時代を演じるのは大河ドラマ『八重の桜』でも少女時代の八重を演じた鈴木梨央。確かな演技力とCMでもお茶の間に知られる人気で視聴者を魅了してくれそう。

なお、鈴木梨央はヒロイン・あさの娘・千代の幼少時も演じる事が決定している。

ヒロインのモデル・広岡浅子ってどんな人?

クリスチャンの女実業家

◆嫁ぎ先の加島屋の経営を再建。後に加島銀行を設立、大同生命を創業。日本で初めての女子大学・日本女子大学校を設立した。

■モデルは、明治の女傑、広岡浅子
幕末から明治へ。この時代、女性が社会の表舞台に出ることは極めてまれでした。しかしその時代、商都大阪に溌剌とした女性がいました。江戸から明治、大正まで駆け抜けた、実業家であり、女性教育に尽力した広岡浅子その人です。

◆女性が家に夫に尽くす一生を当たり前としていた時代。自分の意思で学問をし、家業を助け、事業を拡大し、新しい日本の向上に尽力した実業家。

この記事に飽きたら…

山城国京都(現・京都府京都市)・油小路通出水の小石川三井家六代当主・三井高益の四女として生まれる。幼名は照。幼い頃より裁縫や茶の湯、生け花、琴の稽古などよりも、四書五経の素読など学問に強い興味を持つが、「女に教育は不要」という当時の商家の慣習は固く、家人から読書を禁じられる。

京都油小路三井邸の100分の1の配置平面図

◆浅子の実家・小石川三井家。広大な屋敷だったらしい。

父:三井高益(1799年 - 1858年) - 小石川三井家6代当主。京都市上京区大黒屋町に広大な屋敷を構えていた。その一部は現在、ホテル「ルビノ京都堀川」になっている。正妻との間に三女一男があったがいずれも早世、高喜を別の三井家(南家)から養子に取り、48歳のとき家督を譲った。浅子は高益50歳のときの娘で、別腹の子。浅子の姉・春も別腹で、二人とも母親の名は不明。59歳で没。
義兄:三井高喜(1823年 - 1894年) - 小石川三井家7代当主。号は三郎助。三井の南家より高益の養子となり、家督を継ぐ。28歳のときに、2歳の浅子を義妹として入籍。春は養女として入籍。長男の弁蔵(1850-1912)は、小石川家第8代当主三井高景となり、妻の寿天子(すてこ)とともに浅子の学校設立を支援した。
義姉:春(1847年 - 1872年) - 浅子より2歳上の異母姉。高喜の養女として三井家に入家。浅子が嫁いだ6日後に両替商の天王寺屋五兵衛に嫁ぐ。25歳で没。

◆実家は名門・三井財閥の一族である。(ドラマでは今井家)。
父・高益の実子は早世し、養子に迎えた高喜が家を継いだ。
浅子も姉の春も高益の妾腹の子であり、浅子は高喜の義妹。春は養女として入籍されている。
つまり実際の関係は腹違いの姉妹であり、戸籍上の関係は浅子は春の年下の伯母となる。

簡単な広岡浅子周りの家系図(「広岡浅子を理解するための10人」より)

浅子は高益(たかます)の「別腹」で嘉永4年、高益の養子である高喜(たかよし)のもとに「義妹」として「入家」し、三井家の人間となった。浅子2歳の出来事だ。

 同じように高益の「別腹」で2歳年上の「春」は、高喜の養女として「入家」している。母親がだれなのかは2人とも記されていない。

 父高益は浅子9歳のとき59歳で亡くなった。以後は当主を継いだ高喜のもとで、結婚して家を出るまで京都油小路の出水家で暮らしたはずだ。

 浅子にとっては義兄となる高喜は26歳年上。高喜には長男弁蔵があり、高喜の巻で浅子は「義妹照(幼名)」として、「養女春・長男弁蔵」とともに記載されることが多い。例えば。

 嘉永5年「11月義妹照・養女春・長男弁蔵痘ヲ患フ」

 同月28日「義妹照被初、長男弁蔵髪置ノ儀挙グ」

 出自がどうであれ、きょうだいとして大事に育てられたことが伺える。それにしても、出水家には高喜の妻であり弁蔵の母である女性がいたわけで、相撲をとる浅子を叱っていた「母上」とはだれだったのか。
17歳(数え年、以下同様)で鴻池善右衛門と並ぶ大坂の豪商であった第8代加島屋久右衛門正饒(まさあつ)の次男・広岡信五郎と結婚。嫁いだ後も、主人は手代に任せて業務に関与しない商家の風習に疑問と限界を感じ、簿記や算術などを独学するようになる。
20歳で明治維新の動乱を迎え、家運の傾いた加島屋を救うために実業界に身を投じ、加島屋当主である第9代広岡久右衛門正秋(信五郎の弟)、夫の広岡信五郎と共に、加島屋の立て直しに奔走する。
17才で嫁いだ先は、大阪でも有数の両替商。時代の変化で商売が立ち行かなくなったにもかかわらず、ボンボンの夫は「金儲けは性に合わんねん」と三味線など風雅に興じるばかり。夫は浅子に事業を託してしまいます。実業界に身を投じた浅子は夫の応援も得て炭鉱事業、銀行事業、生命保険事業など新しい分野に果敢にチャレンジしていきます。そして女子教育のため日本ではじめての女子大学設立に尽力します。

「九転び十起き」

◆「九転十起生(きゅうてんじっきせい)」というペンネームを使っていた。

1884年(明治17年)ごろから炭鉱事業に参画し、筑豊の潤野炭鉱(福岡県飯塚市、後の製鐵所二瀬炭鉱)を買収して、開発に着手。その際、単身炭鉱に乗り込み、護身用のピストルを懐に坑 夫らと起き伏しを共にしたと伝えられている。このように男もためらうような冒険的事業に敢えて乗り出したので、狂気扱いされたこともたびたびであったという。
そのような努力の結果、1897(明治30)年、ついに潤野炭鉱は産出量が急増、優良炭鉱へと生まれ変わりました。何度苦境に遭っても決してあきらめない、この体験が浅子の「九転十起」の元となったのです。

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