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  1. 【2016年度4月期NHK朝ドラ】連続テレビ小説「とと姉ちゃん」モデルの大橋鎭子と『暮しの手帖』とは

更新日 2016/04/06

【2016年度4月期NHK朝ドラ】連続テレビ小説「とと姉ちゃん」モデルの大橋鎭子と『暮しの手帖』とは

2016年上半期NHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」が4月4日(月)より放送開始されました。史実のモデルは生活雑誌『暮しの手帖』を創刊させた大橋鎭子さん。どのような内容のドラマになるのか、キャスト、ロケ地などについても併せてまとめます。

「とと姉ちゃん」って、どういう朝ドラ?

連続テレビ小説 第94作「とと姉ちゃん」。
“父親代わりの長女”ヒロイン、小橋常子(こはしつねこ)が、生前の父が教えてくれた「当たり前の暮らしがいかに大切か」という教えを胸に、二人の妹と母を守って型破りの大奮闘。女ばかりの常子一家が激動の昭和を駆け抜けていく、小さな家族の大きな年代記です。
そして戦後、焼け野が原の東京で常子は「女のひとたちのために雑誌をつくりたい」と家族とともに出版社を設立。1冊の生活雑誌をつくって世に送り出します。その雑誌の名は「あなたの暮し」。
食べ物も衣服も不自由な戦後の日本でいかに工夫して生活していくか。「あなたの暮らし」はそんな実用的な記事がいっぱい。徹底的に読者に寄り添い、常子たちが生活の中で見つけた知恵に満ちていました。やがてその雑誌は、魂のパートナー、花山伊佐次(はなやまいさじ)の助けを借りながら、高度経済成長期を生きる女性たちに欠かせない雑誌へと成長していきます。
2016年、「とと姉ちゃん」と女ばかりの家族の愛と挑戦の物語が、日本中を勇気づけます!

◆「とと姉ちゃん」は第94作目の朝の連続テレビ小説(朝ドラ)にあたる。
制作は東京放送局。(AK)
特定の実在の人物をモデルに描いたフィクション作品となる。

時代は昭和初期、ヒロイン小橋常子は、12歳で父を亡くします。しかし彼女はめげることなく父の遺言に従い、母とふたりの妹を「父(とと)」代わりになって懸命に養っていきます。
四人は一丸となり、にぎやかにたくましく戦前戦後の日本を生き抜いていきます。
戦後100万部近い販売部数で一世を風靡(ふうび)した生活総合誌「暮しの手帖」の大橋鎭子・花森安治をはじめとする創業者たちの軌跡をモチーフに、小さな小さな女ばかりの家族が、騒々しくけんかしながら、助け合いながら、激動の戦前戦後の昭和を強く明るくたくましく生きていき、やがて自分たちの生活の中から1冊の雑誌をつくり、戦後の女性の暮らしの復興に灯りをともしていく、大いなる希望の物語をお届けします。
平成28年4月からは、妹たちのため、女性のため、戦前戦後の日本を元気に駆け抜けていく「とと姉ちゃん」とその家族の素敵な愛の物語が日本中を元気にします!
※実在の雑誌群や、人物などをモチーフとしていますが、戦前戦後の昭和史を大いなる愛をもって生きていくある家族の物語として大胆に再構成し、登場人物や団体は改称し、フィクションとしてお届けします。

◆戦後から現在に至るまで続いている生活雑誌『暮らしの手帖』創業者たちをモデルに、生活に即した仕事と家庭のドラマを生き生きと見せてくれる朝のドラマになりそうです。

ヒロイン・小橋常子役は高畑充希さん

 高畑は07~12年の6年間、ミュージカル「ピーターパン」で8代目ピーターパンを務めた。さらにTBS系「3年B組金八先生」などのドラマでキャリアを積んできた。

 ブレークのきっかけとなった13年の朝ドラ「ごちそうさん」では、ヒロインの義妹役で出演し、劇中で歌を披露するなど注目を集めた。14年にはNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」などドラマ5本に出演、映画でも「女子ーズ」や「バンクーバーの朝日」など話題作への出演が相次いでいる。

◆2500人超のオーディションから選ばれたという高畑さん。朝ドラの出演は2013年に放映された89作目の『ごちそうさん』に引き続き2度目。

常子の人生に影響を与える「とと」を演じる西島英俊さん

◆「とと」とは常子の「父」小橋竹蔵のこと。
常子が12歳の時に亡くなり、家族を長女である常子に託すこととなる。
初回を見た限りでは非常に温厚で誠実な人物像が窺え、西島さんの落ち着いた笑顔が家族をまとめる柱となっているようだ。

常子の父親である小橋竹蔵役を演じる西島秀俊については眼鏡のフォルムや、子供たちへの物腰の柔らかさ、そんな父親をきちんと迎える子供たちの描かれ方に、視聴者からは「私のお父さんが西島秀俊だったらどんだけ良かったのだろうかと思ってしまうドラマですね」「西島さんのメガネパパがいいな~「流星ワゴン」より好き」と高評価だ。

この記事に飽きたら…

ヒロインのモデル・大橋鎮子ってどんな人?

大橋鎮子

大橋 鎭子(おおはし しずこ、1920年〈大正9年〉3月10日 - 2013年3月23日)は、日本の編集者、エッセイスト。暮しの手帖社社主・元社長で同社の雑誌『暮しの手帖』を創刊した。妹の大橋芳子も同社創業メンバーの一人で、エッセイスト。
日本製麻勤務の父と、小樽育ちで女子美術学校出身の母のもとに、東京・麹町の榊病院で生まれる。父親の転勤のため、1才で北海道に移住。だが、父親が肺結核になったため、東京に戻り、小学5年生の時に父が死去。父が亡くなるまでの5年間療養所を求めて、伊東、鎌倉、大森などを転々とし、家族で看病に明け暮れる経験をした。大井町に落ち着き、父が1930年(昭和5年)に死去すると、11歳でその喪主を務めた。
東京府立第六高等女学校(現東京都立三田高等学校)を1937年に卒業。後輩の石井好子とはその後も交流が続く。日本興業銀行に入行し、調査課に勤務する。3年で退行し、日本女子大学に入学するが1年で肺結核となり、学業を断念。
大学を中退して静養ののち、創刊されたばかりの日本読書新聞に入社。編集部員大幅変更時、戦争末期の休刊時、戦後の復刊時と、常に編集部に所属した。

◆前作の朝ドラ『あさが来た』は日本女子大学の創設に関わった広岡浅子をモデルとしていたが、大橋鎭子は日本女子大の学生だった時期があり、浅子が目指した女子高等教育の理念は鎭子の中にも息づいていただろうと思われる。

女の人をしあわせにする雑誌をつくりたい

 1920(大正9)年、三姉妹の長女として生まれた鎭子。だが鎭子が10歳のときに父を亡くす。その際、父はこんな遺言を残した。

「鎭子は一番大きいのだから、お母さんを助けて、晴子と芳子の面倒をみてあげなさい」(大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』より)
鎭子を知る出版関係者は言う。

「わずか14歳で歯槽膿漏用の歯磨き粉の商品化を計画したそうです。結局、出資者のトラブルで断念せざるを得なかったが、あの企画力はそのころから養われたのかもしれませんね」

◆14歳で歯磨き粉の商品化計画を立てたという鎭子。エッセイ『「暮しの手帖」と
わたし』の中にもその事が書かれている。

--高等女学校時代に歯磨きをつくったそうですね。ベンチャー精神はそのころから。

自分の名前にちなんで「オーシー歯みがき」と命名した。つくり方は歯医者さんが教えてくれた。母の歯槽膿漏を言ったら、これを使いなさいと。クラスメートに欲しいという人がいて、少しでも家計の足しになればと思った。
生きることもままならなかった敗戦の翌年、
26歳の彼女は名編集者・花森安治と銀座のビルの片隅で、
後に『暮しの手帖』となる雑誌『スタイルブック』を創刊しました。
「どんなに みじめな気持でいるときでも
つつましい おしやれ心を失はないでいよう」
人なみ外れた好奇心と度胸を武器に、
女の人をしあわせにする雑誌をつくりたい一心で出版社を立ち上げ、
社長、営業、編集、なんでもこなした新しい女性「しずこさん」。
強く、たくましく、明るく生きた彼女の心は、
いまも『暮しの手帖』の中に生き続けています。

◆父の遺言を受けて家族を幸せにするためにひた走ってきた鎭子は「女の人を幸せにする雑誌を作りたい」という志のもと「衣裳研究所」を設立、後に「暮しの手帖社」と変更する。

暮らしの手帖社の特設サイトでは大橋鎭子のエッセイ『「暮しの手帖」と
わたし』のポケット版をオンラインで読むことができる。(無料)

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